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ナポリピッツァを習いに行った話

習いに行った事の話 その①

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先日、ヒョンな事から「実は正しいナポリピッツアを習いに行った事がありまして・・・」という話になりました。
実はその相手というのが斯界の方で、
「おや、それは興味深い。是非それについて知りたいな」という事になりました。
「真のナポリピッツァ協会は『店舗』に認定されるはずなんだがなぁ」とね。

約10年前に念願かなってのイタリア旅行でナポリに行った時に、「真のナポリピッツァ協会」認定の店を何軒か見たのですよ。もちろん日本にも認定店はあるし、行ったこともあります。

「ダ ミケーレは行きましたか?」
「番号札もらって並びましたよ」

などと言う会話の後の話です。

いやいや、生半可な自慢はしない事ですよ。
でもまあ、家に帰ってから後生大事にしまってあった「終了証書」を引っ張り出してみたわけです。
 
 その講習会に行ったのは平成9年の事でした。雑誌に講習会の案内が載っていて、ナポリに行くなら○○万円、日本の1日コースだと2万円(?!)的な感じで、日本は四谷の某所で行われていた1日講習会を申し込んだというわけです。

 ピザというのは案外長いお付き合いがあって、子どもの頃生家の広島郊外の町は山口県の岩国に近く、アメリカ軍岩国ベースのものをいただく機会があったのです。で、大きな大きなサイズのストロベリーアイスやら大きな大きなピザやらを時々食べていたわけですね。
 そのピザというのは、サラミソーセージがいっぱいのっていて当時の事でそれはそれは「ごちそう」感満載のものだったわけです。
 
 それからしばらくして街でもピザというものが出始めました。
で、初めて注文したのは広島市の「ジロー」というイタリアンだったのですが、出てきたものはホールのままでフォークとナイフがついてきたんですよ。
 「え〜〜〜 切ってない!」と焦りました。18歳位の頃で、「恥ずかしい」事がイヤなお年頃です。期待感満載で注文してみたら悪戦苦闘の代物だったのです。それからじきにピザもそれなりにカットして出てくるようになり、まぁまぁそれほど珍しいものでは無くなってきました。
 その頃、「婦人の友」からアメリカ人の宣教師夫人の書かれたイタリア料理を紹介した本が出て、学生だった私はそれなりにボロネーゼソースやらラザニアやらピザやら作っておったわけです。

 さてさて、で、ピザというものは①やや薄くしたパン生地に乗った ②上には色々な具材、典型的なものではサラミソーセージとピーマンと玉ねぎを散らした食べ物なのかなぁ〜〜〜〜というものでした。

 関東地方に住むようになった30年前に初めて行った渋谷のシェーキーズも「トッピングはなににしようかなぁ〜〜」的なピザでした。

 さてさて、そんな折に「正しいナポリピッツァの講習会」の案内です。
そこで初めて納得したわけです。ナポリ風のピッツアというものは生地は厚みはあってもさっくりとしていて、縁があるのは真ん中のソースが流れないためで、具はシンプルに、トマトソースとチーズとオリーブオイル、バジルの葉等があればそれでオーケーのものなんだとね。要は生地なんですよ。イタリアも広いのでローマ風は薄く、手でくるくる回すパフォーマンスが出来ますが、ナポリ風は基本的にはオイルを入れないので回せないんです。パタパタと打ち返して広げたりはするのですが、台の上で手で伸ばすものなんです。

 「真の〜」がプロ用で、釜も本格的でないとダメっぽいのですが、その折のものは家庭用のガスコンベックを使用していました。なので、習ってきたら家で出来るようなものだったのです。

私が行った「正しい」(とりあえず分けて書いておきます) 講習会は20年前の事で、今は無い団体が独自で行っていたもののようです。今は別の組織により「真のナポリピッツァ」認定がなされているようです。よくよく見るとシンボルのイラストは似ているけれどちょっと違っています。

ナポリピッツァ講習会


 
ちなみにイタリアではピザは丸のまま出てくる事が多かったように思います。フォークとナイフでいただくのですよ。 カットしたら手で食べても良さそうだったけど、そのままフォークで食べてました。あ、そうそうテーブルクロスも無いすご〜くカジュアルなピッツェリアなのにテーブルのパンくずを紙ナプキンで払おうとしたら一緒に待っていたご婦人ににっこり笑って「 No!」と止められました。「ソレハオミセノヒトノヤルコト アナタガテヲダシテハダメヨ」と言う訳ですね。言わずもがなですがパスタはスプーンは使わずフォークのみで食べるらしいです。 

ちなみに横浜で大好きなピッツァ屋さんは「シシリヤ」と言うお店です。
味はナポリで食べたピッツァに負けてないと思っています。
 

真のナポリピッツァ協会が定める「真のナポリピッツァ」とは

1.生地に使用する材料は、小麦粉、酵母、塩、水の4つのみ
2.生地は手だけを使って延ばす
3.窯の床面にて直焼きする
4.窯の材料は薪もしくは木くずとする
5.仕上がりはふっくらとして、「額縁」がある
6.上にのせる材料にもこだわる
小麦粉で練ったシンプルな配合の生地は時間をかけて熟成、発酵させることで小麦粉の美味しさを最大限に引き出し、そのふくらみをつぶさないように手だけで優しく延ばしていく。これが焼いた時のパンに似た香りや消化にも良い優しい食感を生み出します。

真のナポリピッツァ協会については
http://japan.pizzanapoletana.org/chisiamo.php 

シシリア
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シカゴカブス 108年ぶりのワールドチャンピオンになるか!!

シカゴカブスが94年ぶりにワールドシリーズに出るとあって「ヤギののろい」がどうとか言われているようですがなんとまぁそんなに久々とは。
 テレビのライブでは最終7戦目で、インディアンズ3勝、カブス3勝の大山場を迎えております。
 インディアンズは映画「メジャーリーグ」のチームですしね。
 どちらも勝たせたいと思うのは、先日の日本の野球の状況に似ています。

 今までに一度だけ、アメリカで野球を見たことがあります。1999年の事でそれもシカゴのリグレー・フィールド。カブスのホームグラウンドです。
 旅行でシカゴに行ったのですが、ホテルのコンシェルジェに「本場の野球というものを経験したいのでチケットを手に入れて」と頼んだところ、2枚で何ドルだったかは忘れましたが、日本円換算で外野席ながら16,000円なら手に入ると言われました。
 行きながらわかったのですがその日はちょうどインターリーグの日でホワイトソックスとカブスの同じシカゴ同士ながら別リーグが試合するという特別の日。チケットは高かったけれど運が良かったというべきだったのでしょうね。

 電車で行ったのですが車内はカブスとホワイトソックスのファンでいっぱい。途中で歌なんか歌う人たちに囲まれてわくわくと盛り上がりつつ球場に行くと古くて趣のある外観の球場はもとより、中も雰囲気は最高潮。
 結果的には7回前で雨のために試合は中止になってしまい、せっかく歌いたかった「Take Me Out to the Ball Game」はマボロシとなってしまいました。

  アメリカのスタンドで楽しかったのは両者のファンが入り乱れて座っているまわりのファンの人たちの様子であったのですが、一番おもしろかったのは「ピーナッツ売り」。
 「Hey Peanuts!!」とか叫ぶと欲しい人が手を挙げます。するとそこ目指してピーナッツが飛んでいくんですよ。それがまた上手なの。
 お金はそこからピーナッツ売りまでウェーブのように人から人への手渡しで届けられます。
 それがあっちもこっちも手が挙がるので頭上をピーナッツが飛びまくります。
で、そのピーナッツはというと殻をみんな足元に捨てるんです。食べてはぽい、食べてはぽいという感じ。だから足元はピーナッツの殻だらけ。

ジモトの野球としては、前年の1998年は横浜ベイスターズが優勝した年で、リーグ優勝は甲子園だったでしたのでスタジアムでの「画面」観戦。でも日本一になった時にはチケットが手に入ったのでスタジアムで見ることが出来ました。 

 先日所用があって市役所のあたりに行ったとき、ちょうど横浜ベイスターズ 三浦投手の引退の日でした。球場のまわりはユニフォームを着た人たちでいっぱい。グッズ用のテント、写真用のパネル。カフェ。 いろんな雰囲気があの時の「ボールパーク」に似ていて、その時にもシカゴのリグレー・フィールドを思い出したのでした。三浦選手はあの優勝した時とあまり変わっていないように見えますが・・・・20年近くの日が経ってしまいました。

 テレビを見ながら書いているのですが、なんとまぁドラマチックな試合展開!

ここで勝てば108年ぶりのワールドチャンピオンだそうですが、なんとまぁ。

 

→続きを読む

オムツで思い出した事

子どもが生まれるという事になった時に
母はデパートに行っていろいろ用意してくれたのでしたが
オムツは四角い布のものでした。
折り方があって、両脇を安全ピンで止めるやり方でした。
新し物好きな人でしたからアメリカ風のオムツが良いかもと思ったのかもしれません。

 お店の人のアドバイスでいろいろ用意をするのですが、さりとて物入りの事でもあり全部既製品という訳にもいかず、長男のベビードレスは母が縫ってくれました。
かわいいキャラクターの入った薄い綿毛布は歩くようになっても離さず、スヌーピーに出てくるライナスさながらずるずると引きずってあるいておりました。
あまりにぼろぼろになったので同じものを買い直したほどです。
 
 次男の時にはあまりに素敵だった念願のベビードレスを購入。買った時に入っていた箱に入れて大事にとっておきましたら、去年の早春に自分の子どもが生まれた時にお嫁ちゃんが着せてくれました。

                  Tais Baby


 オムツは用済みになってもなかなか捨てられず転勤の荷物に入れて持って歩いておりましたがいつのまにやらどこかにいってしまいました。

 なにげにテレビをつけたら朝ドラで四角いオムツを作る話エピソードをやっておりました。

 ファミリア(とスポンサーだった母)には小学校に上がる頃まで本当にお世話になりました。あの頃買えたものだかどうだったか子ども用のコートが18,000円していてすぐに着れなくなるし、汚すのを止める訳にもいかずとその値段の高さに驚いたのを思い出しました。
 今GAP Babyとかに行くとあまりの安さに驚きますが。

 前回の朝ドラは「暮らしの手帖」、今回は「ファミリア」とある時代を共にし、私たちの生活を支えた人達のエピソードです。

キッチンの水栓の修理

先々週の日曜日にキッチンの水栓(ハンドル部分)が壊れてしまいました。
TOYO KICHENにといあわせたところ、パーツを送ってくれました。
パーツだけだと2500円。取り付けを頼むと出張費+技術料15000円!
聞くとそれほどの「技術」が必要でもなさそう。
そこで自力で修理にトライすることに!
誰が?
実はこーいう事の受け持ちは私です。

ところが届いたものを眺めると、構造とやり方はわかったものの本体にしっかりととりつけられたネジが邪魔して入りません。きっとプロは電動で取り付けたのね。私の細腕ではとてもムリ。

折しも、今使っている麻の布団カバーがIKEAでセールになっていることを発見。
そういえば家具の組み立てで必要なんだから電動ドライバーもあるのでは?
ネットで調べると、ありました。それも1280円。
かくして仕事の関係で新横浜での会議に行くついでに、本日行ってきました。IKEA港北店。
ちょうど恒例の生のクリスマスツリーの売り出し日とかで玄関口にはもみのきの山。
つれあいと待ち合わせたカフェでは500円でクリスマスハムの食べ放題付きメニューが!
スペシャルイベントで気分で盛り上がって、夕食もそこで済ませてしまいました。

無事、麻の布団カバーと電動ドライバーをゲットして帰宅。

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で、修理しました。
古いマンション・・・・(マンションと呼ぶには大げさすぎる。ず〜〜と「フラット」という低層住宅に住んでいたのでほんとうはフラットと呼びたい)をリフォームしたときに気に入って入れたTOYO KICHEN。
もちろん小さいおウチ用のシンプルでコンパクトなキッチンセットを入れたのですけどね。

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ほーらねちゃんと修理ができました。

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ちなみにIKEAでゲットした麻の布団カバーはとっても快適!
ついでに言うならばフェイスタオルとバスタオルも麻です。

高いものが多いけれど、探してお手頃なものを使っておりまする。

コーンフレークスクッキーとウスイエンドウの豆ご飯

とあるチャリティーバザーに出かけて求めた「コーンフレーククッキー」。
見てびっくり。実はこのクッキーいままでに何キロ焼いたかと思うくらいのおなじみ・・・・
だったのですが、形が全然違う!!

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これは5センチ位の大きさでぺったんこのクッキー。
私が作ってきたのは2センチ位のまん丸。

モトは多分同じ。「友の会」という昔からある有名な女性団体のレシピです。
本日のチャリティもその「友の会」のブースで求めたものです。

子どもたちが小さかった時になにかと多かった集まりによく作って持って行っておりました。
もう何年も作ってない! でも、「教えて」と言われることが多かったのでよくレシピ付きで差し上げてた。
もしかしてこの平たい方が「オリジナル」だったのでしょうか?

 そういえば、先日ちょっとびっくりした「目からウロコ」的発見がありました。

昔から「豆ご飯」が好きで季節には作っていた「グリンピースの豆ご飯」。
先日、「秘密のケンミンショー」という番組を見ていたら、関西では豆ご飯は「ウスイエンドウ」で作る。
それは普通のグリンピースと味はまったくと言っていい位違うものになるらしい。

 そうだったのかぁ!! 
そもそもグリンピースという豆にそれほどの味わいの異なりがあるという事を知らなかった。
私はどっちでもおいしいと思っていたのだけれど、レシピによっては初めから炊き込んであったり、
先にピースを茹でて炊き上がってからまぜたりと「やり方の違いか」と思っていた。
 でも、関西(大阪)は絶対「ウスイエンドウ」でなくてはだめ!と言うのを聞いていて長年の疑問が解けた。

「なんか違う?!」と思ったけれどそりゃ〜〜「全然違う!」もので作っていたわけですね。
ウスイエンドウはこの辺ではあまり見ないように思いますが、たしかに時には手に入れて、それで作っていた。
大阪にいるときにおばちゃんが売りに来たピースがそりゃ〜絶品に美味しかったけど、あれがそのウスイエンドウであったかも。

ところで、本日この「友の会」ブースでのもう一つの成果は「レモンケーキ」。
この前から頭の中に「こういうケーキが作りたいなぁ〜〜〜」と思っていたものが目の前にありました。

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パウンドケーキほど重くなく、レモンの風味と香りがさっぱりとしたやさしい味わい。
こういうのを「呼ばれる」というのでしょうか。
よし!このレシピを探してみよう。

収穫の多い日でした。


 

八咫烏の話

読んだ本の話です。
いやいや久しぶりにはまりました。



八咫烏シリーズ

先日、帯のキャッチコピーにつられて求めた阿部智里さんの「八咫烏シリーズ」。
第1巻が「烏に単は似合わない」第2巻が「烏は主を選ばない」。
読み始めたら、あれあれ「どっぷん」とはまったのですね。
 昔、萩原規子の「空色勾玉」シリーズを読んだときにも思ったのですがこれは「読むコミック」。
主人公がほとんどアニメのようにイメージされて動き回る。
 文字を読む方が好きですが、コミックも読みます。
このシリーズで設定されている「世界」は異界です。どう違うのかは説明できないのですが、本屋大賞をとった「鹿の王」もやはり異界ものですが、あちらは言わばイメージ的に実写なんです。 
解説の方も書かれていたのですが、小野不由美の十二国記の世界観と似ています。
 読み始めたら止まらなくなって、1巻目を読み終わったら再度ざっと読み直しました。勢いで読んだ2巻目でなるほどなぁと感心し、文庫化を待ちきれずに3巻目は単行本で求めました。
 第1巻目を書いたときに作者は20歳の大学生だったそうです。今は23歳位のはず。
ファンタジーでありながら、ミステリー。松本清張賞を受賞しています。
  そう言えば「ドラゴンライダー」シリーズの「エルデスト」を読んだとき、それが作者クリストファー・パオリーニが15歳の時書き始めたもので、計算したら1983年生まれでその時実際にもまだ20歳そこそこだと知った時には本当にびっくりしたのですが、いやいやこのシリーズもすごい!!と驚きました。
 惜しむらくは・・・・う〜〜ん。まあまあ。まだ続きがあるようなので楽しみに待っていましょう!!

烏に単は似合わない」 阿部 智里著

コーラスをやっております

合唱の事 ①

コーラス



学生時代にはコーラス部でした。
始めたきっかけはほんの偶然から。
春の部活紹介で「袴」姿のりりしい集団を見つけたのです。
『お! 弓道部だ。かっこいいなぁ。よし部活は弓道部にしよう』と近づいたら実はコーラス部。袴と見えたのはロングスカートでした。
学校の性格で「クワイヤ=Choir=聖歌隊」だったわけです。

こういう勧誘って経験者はお分かりだと思います。
その後、逆の立場で何人もお誘いをする事になったのですが、近づいたら簡単には逃れられない。

部室について行って、お茶とケーキをごちそうになったらもう一宿一飯の恩義というやつです。
素敵な先輩に囲まれて「とりあえず」練習に参加してみる事になって・・・・・・・

ほんとうに先輩達は輝いていた。特に隊長(部長ですね)の田村良子さんにハスキーなソプラノで「是非お仲間に」と言われて「はい」と言ってしまいました。

 大切なんですねぇ。
たとえお仲間内ではどのような軋轢があったとしても、新人を迎える時の先輩の態度というものは!
アイスを食べに行こうと誘われたり、帰りにうどんをおごってもらったり。
江田島で新入生歓迎合宿でのバレーボールですっかりもう立派なchoirの一員になりました。

始めてみたらコーラスは本当に楽しかった。
同期の1年生は10人もいて、まさに「フレッシュマン」。部室は音楽室の隣で小さいながらもクラシカルな小さな窓から丘に広がるキャンパスが眺め渡せる眺めのいい一等地。
音大でもないのにピアノ室が数室あって、練習環境にも恵まれていました。
しょっちゅう入り浸って素敵な先輩にちやほやされ、半年ほど何の憂いも無くみんなと楽しくぴーぴーと歌っておりました。

夏の後期合宿の夜。先輩達の部屋に呼ばれました。
「来年度は今の1年生を中心の体制でいって欲しいの。指揮者はカミヤさん。あなたは副隊長をやってくれない?」。
「せいてんのへきれき」というやつです。
 実はこのコーラス部。部員不足という問題を抱えていた。
卒業してしまう学年と一年生が多いけれど、間の学年が薄いハムサンド状態。
それでもまったくいない訳ではないし。その時までそんな根回しも無かったし。
「ど〜〜して??!!」

素敵なお姉様集団変じて親分衆に因果を含められ、楽しかった短い時に別れを告げて、慣れない肩書きを背負って初めて学内のメサイヤ委員会に出席した時にやっと「これはエライ事になった」と気がつきました。

たとえチカラ不足であったとしても、それにふさわしい者になろうという気持ちはやはり人を成長させるのですね。
 なにより良かったのは次に入って来た下級生の集団が大変優秀だった。
いまだにOG会の中心となって活躍しているような人達がまとめて入ってくれました。
 やや頼りなくても先輩をたててもりたててくれました。ありがたいことでした。
 
 ワタクシの人格形成の半分は学生時代のクワイヤのおかげです。

おかげさまで今もコーラスという世界から離れずにおります。

奇跡のイヤリング

昨日の事。
朝からとある会議に出席していて昼前にふと気がつくと左耳のイヤリングが無い!
そっと右耳から片方を外してバッグに入れて考えました。
駅から出る時にマスクをした。
歩道橋の上で会議のメンバーに会ったのでマスクを外した。
多分この時にひっかけたのね。
とは言えすぐに探しに動けない、無くしたと騒げるような状況でも無い。

やっと解放されたのは4時頃で外は雨が降っておりました。
帰りは来た道を下を向きながら逆に歩きました。
駅の「遺失物案内所」でも尋ねました。

家に帰って一個になったクリップ式のイヤリングをしみじみ眺めながら考えました。
「縁があるなら戻るよ。きっと」

今日の午後。
同じビルで別の会議がありました。
昨日と同じ道を下を見ながら歩いていきました。
最初にマスクをつけた所をぐるぐる。 無い!
外に出て歩道橋のちょうど真ん中あたり、点字ブロックの間で見つけました。あった!! 
拾い上げて握りしめました。
「やっぱり 私を待ってくれてた。 えらいぞ!!!」
昨日の朝からなので30時間近くもたっていたのに。

やたらに会議がある仕事をしているとは言え、1時間もかかる所へ連日出かけるのはそうそうはありません。
多分、わざわざ探しには行かなかったでしょう。

イヤークリップ


イヤリングを落としたら大抵はあきらめます。
なのであんまり高い石がついているものは買わない。
このシルバーのイヤリングもお値段は高くはありません。
この何年かこればっかりつけています。
不思議と無くしたと思っても戻ってくる。

でもでも、やっぱり奇跡かな?!

アルバイトの話 ラジオ局

学生時代にはラジオ局でもアルバイトをしました。
これは夏の2ヶ月間だけの事。土曜日の午後のラジオ番組のアシスタントの仕事でした。
広島のRCC中国放送です。
後輩が短期アメリカ語学留学へ行くので代わりに先輩の私を推薦してくれたのでした。40年位前の話です。
 
 アシスタントと言っても、レコードを探してきたり、何かを渡したり、交通情報や東京からの電話ゲストに電話をかけてつないだりという雑用係。それほど難しい事はしません。
それでもちゃんと進行表が渡されて、打ち合わせも参加します。
学生のアルバイトは女子が2人。男子が2人。男子は技術のアシスタントで機器の接続や音声のテスト、外での中継の手伝いなどかなり専門的な事まで行っていました。ディレクター(?)は2人。番組のパーソナリティは若かった田中俊夫さんと平石恵美子さん。
 放送はテレビスタジオでやっていて、かなり広い場所でした。
PAという音響用語を覚えたのもこの時。
 アルバイトの学生が自由に歩けるのは限られた範囲。
でも資料室にレコードを借りに行く時に、定期的に東京のキー局から送られてくるデーターを録音する大きなテープが回っているのを眺めたり、局アナの方とすれ違ったり、タレントのノベルティグッズがいっぱい置いてあったり、若いモンの好奇心を満たすのには充分面白い経験が出来ました。 

 現場はまったくのプロの世界です。生放送の緊張感がありました。
でも、ディレクターの方は冗談を言ったり、音楽がかかっている間に打ち合わせが入ったりと楽しい雰囲気で、アナウンサーのお二人も素敵な方々だったし、番組をチームで作り上げている感がありました。
 夏の事で広島のリゾート地にみんなで取材に出かけるのにも連れて行っていただきました。
 パソコンはおろかワープロもまだ一般には無い時代。
進行シナリオは手書きでした。
 
秋になって、後輩の復帰と共にアルバイトも終わり、そのうち広島も離れてそれっきりRCCに行った事はありません。
でもずっとRCCのラジオが好きで、今でも広島に帰省した折には聞くのを楽しみにしています。
  
 翌年に小学校と中学校が同じだった川島宏治君がRCCのアナウンサーになったのはびっくり。子どもの頃から変わらない四角い顔をテレビで見かけるとやはり親しみを感じて応援しておりました。

サーカスの飯

「サーカスの飯」というものを食った事があります。

銀座のホステスの「アルバイト」経験がモンダイになって採用の内定を取り消されたとか、いろいろあって復活出来たとか話題になりました。
学生時代にはいろいろアルバイトをしますよ。

私の場合にちょっと忘れがたいのは1日だけだったけれど「サーカス」のアルバイト。
広島にも定期的にサーカスがやってきます。
ある時友人から「サーカスでアルバイトをしているんだけど、どうしても行けない日があって代わってくれない?」と言われました。
 売店の売り子です。
「いいよ」と出かけて行きました。
仕事はガムやらアメやら売るだけなのでそれほど言うような事でもありません。
でも場内の「売り子」の子達の意気込みはすごかった。
野球場でもよく見かけるような首から箱のようなものをぶら下げて場内を売り歩くのですが、しょっちゅう中身の補充に戻ってきます。
仕事熱心だなぁ〜〜と感心していたら教えてくれる人がありました。
「あちらは売り上げに応じた戻りがあるんよね。そりゃ〜頑張るわ」
見れば年頃は同じ位の女の子達。でも、仕事が終わってからもらえるものは全然違うらしい。
 まあね。どうせピンチヒッターだし、今更「あっちがよかった」と言えるようなものでもなかったのです。

 で、お昼になった時に「昼食はテントの裏にまかないがあるから行ってきんさい」と言われました。
 そうですよ。こういう経験の醍醐味は普段行けない「裏」に行ける事。
「バックヤード」経験が出来る事なんですよ。
 そこで「サーカスの飯」を食う。と言う経験をする事になった訳です。

そこは「飯場」というイメージがぴったり。
テントの裏に大きな長い板を渡したテーブルがあって、コロッケが山盛りにのった皿がおいてありました。沢庵も山盛りあったかもしれません。
 ひどく背中の曲がったおばあさんが一人いて、行くと黙って丼に入れたご飯と味噌汁を渡してくれます。
おかずはあの山盛りコロッケで、野菜の付け合わせというものは無いけれど、コロッケは好きなだけ食べてもいいらしい。
先客は派手なお化粧をした芸人さん。
後からこれまた派手なお化粧のおねーさんがやって来て、まかないのおばあさんに「さっさと出しな!」みたいな事をきつい口調で怒鳴ります。
背中の曲がったおばあさんは、時代劇に出てくるような「下働き」というオーラ満載のお方。人とも思われず怒鳴られている風情。華やかなテントの中の夢の世界とはまったく別の超現実的な異世界の雰囲気。
 テーブルの端で、こっそり「サーカスに売られた少女」の気分を味わいながらコロッケをほおばったのでした。  
私としては1回きりにしても面白かった経験です。
何と言っても「サーカスの飯を食った事があるんだよ」と自慢できますしね。

メンチカツ

写真は先日の夕ご飯+翌日のおかずになったメンチカツです。
家人の初挑戦。


プロフィール

mitsuka3

Author:mitsuka3
2010年に横浜は本牧の丘の住人となりました。日々の中でのちょっとした発見を少しずつ書き留めていけたらなと思っています。「本」好きですがとりわけ、子どもの本、Cook Bookマニア。「食」の事、キッチンツールもいろいろと! 
20年あまり暮らしている横浜の事も!

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